「かわいい文化」とは?

【ワンポイント夢二】
既に世界語になって久しい日本語「かわいい」。夢二が生み出したとされる「かわいい文化」。これに関する総まとめのような本がこれ。竹久夢二美術館学芸員の石川桂子編「竹久夢二 かわいい手帖」(河出書房新社)です。冒頭部分をご紹介します。「週報」にも連載中ですが、すぐに知りたい方はこの本をご購読ください。

<「竹久夢二 かわいい手帖」より>

海外でも高く注目される「Kawaii」ですが、大正ロマンを象徴する画家・竹久夢二は、自身がデザインした小物を大正時代(1912~1926)に「可愛い」という言葉で紹介し、暮らしや装いを彩るための仕事に才能を発揮。また、華奢(きゃしゃ)で可憐な姿形を描き表した少女像の<抒情画>を確立し、乙女たちが憧れる「かわいい」の世界観を、夢二は時代に先駆けて表現しました。おしゃれなデザイン画や素朴で微笑ましいカット絵、加えて愛らしい子供絵にも筆をとり、夢二は現代にも通じる「かわいい」を数多く残しました。

今も使われている「かわいい」とはどのような意味でしょう?『大辞林』第三版でしらべてみると次のようですが、あなたのイメージはいかが?

1 深い愛情をもって大切に扱ってやりたい気持である。

2 愛らしい魅力をもっている。主に、若い女性や子ども・小動物などに対して使う。

3 幼さが感じられてほほえましい。小さく愛らしい。

4 殊勝なところがあって、愛すべきである。

5 かわいそうだ。いたわしい。ふびんだ。

さて、これを踏まえて、次回から、夢二の生み出した「可愛い」を見ていくことにしましょう。

*写真:「竹久夢二 かわいい手帖」(石川桂子著)

夢二と台湾

大正時代を象徴する存在である竹久夢二。彼は画家のみならず、詩人等としても多くの作品を生み出し、恋と旅を重ねた生涯を送りました。死去する前年の1933年、夢二は2年余の米欧の旅から帰国後すぐ台湾に渡航し、台北で個展を開催しましたが、絵は売れず、帰国船に乗り遅れ、絵等も全て紛失するという不運に見舞われました。これは、この事象をもとに、波乱に満ちた夢二の生き方に関わって行く新たな試みのプロジェクトです。